【要約】
はじめに
序章
第一章 般若心経の編纂と目的
第二章 導入部と主旨説明
第三章 再定義によって新しい生命観を説く
第四章 「《生命活動》の環境」及び「基本三特質」
第五章 再定義とフラクタル構造挿入章
第六章 因縁と苦からの開放
第七章 般若波羅密多によって覚醒する
第八章 般若波羅密多の力
第九章 彼岸に渡る そして未完成を知る
完成の章 現代社会への対応
【1】仏説摩訶般若波羅蜜多心経
般若心経は仏陀の名の下に、般若波羅蜜多という普遍的な《世界観》を明らかにして仏教再生を果たし、同時にこの現代という未来のために「個人と人類の救われの道」を説いた経典です。
【2】観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五薀皆空 度一切苦厄
皆空として最初に登場する空は、原典では形容詞であることが重要で、この空の意味の元となる名詞の《空》の意味は、後に明らかになるように、実在としての《宇宙の本質》を示しています。
そこで以下のように解釈されます。
観音様は般若波羅蜜多の深い瞑想をされた時に『私達の住む五蘊の世界、つまり諸行無常とみえるこの世界は、実在としての《空》の下にあり、出来事は全て肯定され調和している』と見定めました。
観音様はこの真実を基として、シャーリプトラに衆生救済の道を示されました。
【3】舎利子 色不異空 空不異色色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
次に出てくる語句《色》・《受想行識》は、大乗仏教で新たに再定義された概念です。
シャーリプトラよ。
宇宙の本来性から説けば《色》は《人間の本質》であり、《空》は後に定義されるように、実在としての《宇宙の本質》です。
そこで《色》は《空》に等しく、《空》は《色》に等しい、と解釈されます。
つまり《人間の本質》は《宇宙の本質》であり、《宇宙の本質》は《人間の本質》である、という真実を示しています。ここに解読された内容は心底驚嘆すべき真実です。
一方、時間空間に制約されている人間の現実性から説けば《色》は《空》に帰還できるし、《空》は《色》に降りてくることができるのです。
《受想行識》は《色》の《精神作用》であるから、これも《色》と同じように《人間の本質》であって、《空》との関係も《色》に同じなのです。
【4】舎利子 是諸法空相 不生不滅不垢不浄 不増不減
シャーリプトラよ。
ここで、新しい概念として『生命活動の環境』としての《諸法》が追加して再定義されます。
ここで《諸法》は《空》の特質を持ちます。
以下に《空》の基本三特質を示します。
最初は不生不滅として、生と滅の対立を超越した「永遠性に基づく宇宙の完全性」を示しています。以後、簡単に「永遠性」と表記します。
次に不垢不浄として、垢と浄の即ち善と悪の二元論的対立を超越した「絶対性」を示しています。
次に不増不減ですが、サンスクリット語原典に遡って確認すれば、その漢語訳は不欠不満とするのが適切であり、その意味は「欠損があるのではなく、満たされているわけではない」となります。
この意味を例示すれば、
ここに「花」という対象と、その花の持つ「美しさ」という高度な概念を考えるとき『沢山の種類の花があって、どれも「美しさ」を持っていますが、このままで「美しさ」の概念に欠損があるわけではなく、しかも「美しさ」の概念が全て満たされていることはない』という意味になります。
そこで不欠不満を現代的に、多様性に伴う「普遍性」と解釈します。
従って《空》の基本三特質は不生不滅・不垢不浄・不欠不満となり、それぞれを永遠性・絶対性・普遍性と定義できました。
この解読で《空》は「実体が無い」どころではない、従来の定説とは正反対の実在そのものである、ことが明らかになりました。
ここまでで《色》・《受想行識》、及び《諸法》は《空》由来の実在であると分類されました。つまり《色》・《受想行識》は《諸法》を環境として、生命活動を展開している活き活きした姿がここに描かれています。
ここまでは《空》に属する《色》・《受想行識》及び《諸法》の話で、この話は一段落です。
【5】是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界
次に宇宙の生命活動は《空》の外側に、我々の住む諸行無常の世界を創造し、展開していきます。
ここから、新しく創造された諸行無常の世界における生命活動の説明に入ります。
さて是故空中無として、無を伴って出てくる色と受想行識は《空》の中には無い、と説かれます。
一見《色》・《受想行識》と矛盾して見えますが、この「色」・「受想行識」は初期仏教の語句であり、人間の肉体とその精神作用を意味していて、再定義された《色》・《受想行識》と対に成っていて、この展開にこそ再定義の事実が隠されていたのです。
つまり《空》の中の存在としての《色》・《受想行識》と《空》の中には無い「色・受想行識」とは、異なる世界で有りながら、敢えて同じ語句で表現され、両者は本来般若波羅蜜多の結合関係にあることを示しているのです。
つまり、この般若波羅蜜多の結合関係を自覚して生きることこそ、生命活動の本来の姿なのです。しかしそれを自覚しなければ、それは無いに等しいのです。
次に人間の知覚機能と、その対象を示している初期仏教の語句、眼耳鼻舌身意、色声香味触法は、これも《空》の中には無いのです、と解釈されます。
ここで最後の「法」ですが、これは人間を取り巻く物理環境を含む生命活動の場を意味しています。
ここで《諸法》は《空》に属していて実在ですが、「法」は《空》の中には無いから非実在となります。
即ち《諸法》と「法」は、それぞれ《空》の中と外に有って、般若波羅蜜多による結合関係を満たしているのです。
即ち宇宙は《空》の中の実在と、《空》の外の非実在とに分類されました。ここに分類された実在と非実在の二つの世界は、般若波羅蜜多の結合関係で成り立っていてこそ、本来の姿と言えるのです。
さらに続けて非実在を示し続けます。
先の人間の知覚機能とその対象と、それに加えて意識機能まで、人間の知り得る全十八種類の要素の全ては《空》の中には無いのです。即ち、ここに示した全ては「諸行無常」の世界であり非実在です。
この否定表現で、非実在と実在とが明確に分離され、そして分類されしかも両者は強い関連性を持って表現されました。
【6】無無明 亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
初期仏教の経典、十二縁起の文頭と末尾を「無」で否定します。同様に、初期仏教の経典「四諦」の最重要語句「苦・集・滅・道」を「無」で否定します。
これら十二縁起と四諦は《空》との関連性を説いていないので、般若波羅蜜多の結合関係を生じないから、ここには何ら悟りの知恵も無く、得られるものは何も無いと断定しています。
【7】
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖 遠離 一切顚倒夢想究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提
これらの経典から得られる知恵は何も無いから、これらの経典を捨てて、新たにここに《空》を中心とした般若波羅蜜多の教えを説きましょう。
地上界の修行者は般若波羅蜜多に自ら共鳴し、般若波羅蜜多の《世界観》を体得しなさい。そうすることで、心を曇らせる障りが無くなります。無くなったが為に、明日への恐怖が無くなります。
般若波羅蜜多の瞑想と行により「色」・「受想行識」を《色》・《受想行識》から遠くに切り離しなさい。そして自ら般若波羅蜜多に共鳴することよって、《色》・《受想行識》の立場に立ちなさい。
さらに「空は実体が無い」というような、虚言を遠くへ離しなさい。そうすれば、《色》・《受想行識》と「色」・「受想行識」とが、本来の般若波羅蜜多の結合関係に戻り、心の自由性と安心感を回復し、涅槃の境地に至ります。
一方、過去現在未来に同時に生きる天上界の修行者は、やはり般若波羅蜜多に共鳴することで、完成された悟りにまで到達します。
【8】故知般若波羅蜜多是大神呪 是大明呪 是無上呪是無等等呪 能除一切苦
だからこそ、修行者は般若波羅蜜多の《世界観》を学ぶべきなのです。般若波羅蜜多は霊力のある真言です。全てを明らかにする真言です。これ以上無い真言です。比較するモノが無い真言です。般若波羅蜜多の《世界観》を学べば、観音様によって一切の苦は解決されます。
【9】真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経
このような般若波羅蜜多の呪文の持つ偉大な力は、真実であり決して嘘ではありません。
そこで次に、新たに般若波羅蜜多を要約した短い呪文を説きますから、誰もがいずれ体験する、死に臨む際には、これを一心不乱に唱えなさい。
短い呪文だからこそ、おぼえやすく唱えやすく、死に臨んでは様々な障害を振り切って、「彼岸」に到達することができるのです。即ち、その短い呪文とは以下の通りです。
『羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶』。
ここまで説いた真実によって、これまでの仏教は般若波羅蜜多の結合関係が回復し、そのことで仏教は再生され、末法の世はここに終焉するのです。
さてさて、しかしながら、まだ「般若心経」の語句の解釈が残っています。
般若波羅蜜多心経から、重要な「波羅蜜多」の部分を削除した形で表記され、最後は「般若・・・・心経」と結ばれています。
敢えて一部欠落した不完全な姿を最後に示して、般若心経がいまだ未完成であることを現代に伝えています。
ここに敢えて未完成とした主旨は、後世に般若波羅蜜多を体得した人が出現して、般若心経を解読することになるから、その時にこの地球の、その時代の学問や知識を駆使して、その社会や文化環境に合致した般若心経を完成させなさい、と強く示唆しているのです。
以上【要約】 おわり